おとうさん


4歳の私がまだ2歳になる前の妹を抱き寄せる姿を見て、父は胸が締めつけられる思いだったと言いました。


その後、父と私と妹で近くの土手に歩いて行くと、燃えるようなピンクの夕焼けがキレイだったそうです。その話を聞いた時、その土手とその夕焼けと父と妹が浮かび上がってきました。あ、私、覚えている、そんな気がしました。「私は夕焼け色のピンク色が好き」そんなことをいつも言っていたことを思い出しました。そう言えば、私はずっとピンク色が好きでした。20代、30代、ミンナ黒やグレーをカッコよく着こなしているのに、私はよくピンク色の洋服を選んでいました… これも潜在意識なのかなぁ。


父はその夕焼けを見て、この子たちは僕が何としても守っていこう、と心に誓ったそうです。


父からそんな言葉を聞くなんて想像もしませんでした。父は子どもに興味がない、子どもが苦手、そんなイメージがありました。私が大人になって初めてゆっくり話すようになりましたが、いつも難しい話ばかり。それは父と子というよりは、ひとりの大人と大人、そんな感じでした。


でも、父は、私と妹に本当に申し訳ないことをした、と何度も言いました。どれだけ責められても当然だと。こんなことになって、もっと反抗したり文句を言ったりグレたりして当然なのに、二人ともそれとは真逆に真面目に立派に育ってくれて感謝していると。


おばあちゃんのこともいろいろ話してくれました。中学生の時におじいちゃんが亡くなって、お嬢さん育ちでわがままだったおばあちゃんが必死に働いてお父さんを大学まで通わせてくれたこと。嫁姑(おかあさんとおばあちゃん)の関係が悪いことがわかっていてもどうしてもおばあちゃんを見捨てられなかったこと。自分のせいでおかあさんも私たち姉妹も不幸にしてしまったと言いました。おばあちゃんが亡くなった時に呪縛が解けた気がした、そんなことも話してくれました。


話していくうちに、いろんなことを思い出すのか、父の子どもの頃の話、遠い昔の出来事、嬉しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、今まで聴いたことのない話をいっぱいしてくれました。


私と父は二人きりで5時間ほど話し続けました。父はこれ以上ないくらい、痛々しいほどに罪悪感の塊でした。ずっとそんな想いを抱えて生きてきたんだろうな。何だかかわいそうで仕方なく思えました。そして、父なりの愛、父なりの愛し方を感じました。


おとうさんは、今のお母さんと幸せになる運命だったんだよ、私はそう言いました。本当にそう思いました。タチの悪いロックマン気質の偏屈オヤジを支えて、おばあちゃんと私たちコブ姉妹の面倒も見て今までやってきた今の母は本当にエライ、と脱帽です。感謝です。そして、私も妹も今幸せに暮らしているから(少しホワイトライかな)そんなに自分を責めないで、そう言いました。話を聴いているうちに私よりも父の心の方が大変だと気付き、何となく勝手にカウンセラーになったつもりで傾聴・受容・共感をしていました(笑)おとうさん、いっぱい話して少しは心が軽くなったかな。話してくれてありがとう、おとうさん。